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日別アーカイブ: 2018年11月11日

⓳父のすい臓がん闘病生活9月~ガンじゃないみたい~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

9月に入りときよしはますます元気になりました

手術後からお腹の痛みは消える事はなかったですが、この頃はあまり気にならないようでした。

 

ガン専門病院 Kクリニックでは毎回、問診とビタミンCの点滴と温熱療法をしてもらって、長い時では4時間程かかるときもありました。

問診で先生に「もしかしたら、今飲んでる痛み止めはもう飲まなくてもいいんじゃないかな」と言われました。それほど、血液検査の数値的にも、外見も元気そのものだったのです。

 

毎日の生活もいつの間にか、車も運転できるようになっていたので、一人で実家に帰って掃除したり、朝から晩まで好きな自転車いじりをしたり、子供部屋の電球やドアも悪い所を直してくれたり、見た目が痩せて変わった以外は病気をする前のときよしそのものでした。

 

どこだったか一緒に出掛けた帰りの車の中で

「最近、何カ月か振りにごはんがおいしいっちゃんね~・・お父さん、あと5年は軽く生きれそうな気がするっちゃん」

と嬉しそうに言っていました。

 

私もときよしと一緒で、それを聞いた時は何か月か振りに心から嬉しかったです。

普通に生活してたつもりがときよしが病気になってから何かが引っかかって楽しい時も本気で笑えてなかった様な気がします。

ごはんがおいしいって何よりも分かりやすい健康の証です

実家で掃除 なぜかヘルメット

 

大きなハチの巣も自分で退治

市に頼むと数万円もするそう

 

ゴミで出す自転車をもらってきて

まだ乗れると悪いとこ直しだす

 

別の日も自転車直し どんどん出来上がってくる

ちゃんと作業服

 

やっぱりこうやって動いてるときが一番生き生きしてます

 

 

⓴父のすい臓がん闘病生活10月~ときよしよりも強いガン~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

季節はすっかり秋で、どこに行くにも薄手の長袖を着て出かけるくらいがちょうど良くなってきていました。

 

ときよしは相変わらず、朝ご飯をゆっくりゆっくり食べて、テレビに出てる政治家にやたら怒って、(この時は「このハゲ~」女性議員で持ちきり)時間をかけて丁寧にはみがきをして、いつも出掛けます。

郵便局に行ったり、農協に行ったり、大好きなホームセンターに行ったり、他にもいろいろ・・一体どこへ行ってるやら・・病院がない日でも「何か」してはります。

季節というのはときよしの体調にとても大きく影響してて、暑すぎず、冷えすぎないこの秋が病気してから1番元気でした。

私もときよしが退院して仕事を辞めてからはあまり用事を作らないようにしてたので、一緒に付いていける時は行きました。

 

働いてた会社には「10月くらいには復帰する」みたいな事も言ってて実家にも一人で泊ってきたり本人的にはいよいよ完全に復帰するつもりでいました。

退院後に比べると夜体調を崩して救急で運ぶ事もほとんどなくなっていました

 

私もそんなときよしを見てるとずっと一緒に付いててやらなくても大丈夫かなとつい油断をしていました。

 

体調がいいし、早く復帰するという意思が強くても、

お腹の痛みが少し増したり、吐き気があったり、だるかったり、ほんのちょっとずつ出てきだした不調は本人は見逃さなかったはずです。

いつもどこかで不安を感じていたし、ガンが完治したという人の事をテレビや病院の雑誌で見つけては私に教えてくれていました。

「そうやで、今の時代ガンはちゃんと治る病気やし、再発なんてあんまりせんで」といつも返事します。そうすると、本人はホッとした顔を見せてくれます。

 

ときよしは本当の事を知りません。

でも自分の体は自分だけが分かります。私がどれだけ嘘をつこうと、ガンは嘘はついてくれませんでした。

 

私の目で見て元気でもときよしはすでに末期がんに向かっていました。

 

~治りにくいガン~

男性1位  「すい臓がん」  女性1位 「すい臓がん」

男性2位  「胆のう」「胆管」 女性2位 「胆のう」「胆管」

男性3位  「肺」        女性3位 「肝臓」

男性4位  「骨髄腫」     女性4位 「骨髄腫」

男性5位  「肝臓」      女性5位 「脳、中枢神経」

 

多少違いはあるけど、男性・女性共に、ガンを患った場合上のガンは残念ながら治りにくいという結果が出ています。

5年生存率と言って「診断から5年経過後に生存している比率」というのがありますが、すい臓がんに関しては、わずか4~5%しかなくて、20人のすい臓がん患者のうち、5年後に生きておられる人は1人という計算になります。

 

これは最初の方で担当の偉い先生にも説明を受けていました。

本人や家族の思いは「この1人」になりたいという気持ちだけです。

 

もちろん私の知り合いにもすい臓がんになったけど長生きしておられる方がちゃんといます。

見つかったのが初期だったという事が大きな理由じゃないかなと思います。

 

肝臓やすい臓は「沈黙の臓器」とよく言われます。

生活で言えば、暴飲暴食、大酒、深夜の食事、睡眠不足、刺激物、たばこ、運動不足・・私たちが体に悪いと分かっていながらついやってしまう事に長い年月、黙って耐えてくれています。肝臓で言えばウイルスが原因の事も大きいですが、最終、病気をしてしまったらそれは破綻するまで働かせてしまったという事じゃないかなぁ。もっと「痛い」とか「辛い」とか言ってくれたら・・と思ってしまいます。

 

 

 

 

 

㉑父のすい臓がん闘病生活10月~隠せなくなってきたしんどさ~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

ときよしは10月の初め頃からたまにですが

ちょっとお腹が痛い

と言ってくるようになりました。

私は、ときよしが病気になってまだすぐの時、O市民病院で初めて診察を受けた時に待合で痛みを我慢してた時の姿を思い出して不安になりました。

 

もともと、術後から痛みがなかったわけではないけど、痛みの種類は手術前の痛みと一緒だったんじゃないかなと思っています。私には正直分かりません。我慢強い人なんで、私に言う前から痛かったと思うし、結構痛くなってから打ち明けたんじゃないでしょうか。一人で痛みの事を考えた時、不安だったでしょう。

 

ある日、京都のKクリニックの帰り私はときよしに近くの「二条城」に寄らないかと言っていました。ときよしはすんなりOKしてくれて、ちょうど病院が終わったのもお昼だったんで2人で歩いて二条城まで行きました。

途中に、たまたま見つけた「自然食ランチ」のお店でご飯を食べました。

バイキング形式のランチで、出汁や素材にこだわったお味噌汁や玄米ご飯などとても体によさそうで、ときよしもおいしいとおかわりまでしていました。

食べ終わってお金を払う時、店長さんに

「毎週近くの病院に来るけん、病院の帰りはここに食べに来ますけん」と言ってはりました。

「ときよしのお気に入りになったし、これは常連になるなぁ」と話しながら二条城に向かいました。

しばらく中を見回って、豪華な園庭も見回って、結構急な階段を上って見晴らしのいいところで休憩すると・・

ときよしは、かなりだるそうにしていました。

帰り道が心配になる程でした。言葉では「しんどい」と言わないので私は、実は歩くのがしんどくなってきている事にも気づかず連れ回してしまっていました。

 

別の日には、働いてた会社にいつから働きだすか正式に話し合いしに一緒に行きました。

会社に行く前、途中の道に有名な和菓子のお店があるので寄っていました。小さな座敷でお茶と和菓子をサービスしてもらったりおみやげの和菓子を選んだりしているうち、ときよしは何度かトイレに駆け込んでいました。

会社に行かないといけないし、しんどい姿は見せませんでしたが、何かを隠しているのはやっぱり隠し通せませんでした。

会社でも結局、お互いの話し合いの結果、仕事復帰は無理という結果に終わり落ち込んで帰ってきたのを覚えています。

 

10月の終わり頃には、とうとう頻繁に吐くようになり腹痛もひどくなっていきました。

二条城で

 

ときよしの会社の近くの叶匠寿庵

 

 

㉒父のすい臓がん闘病生活~姿を現すのが早すぎる~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

10月末頃から吐く様になってご飯の時間が不定期になるとタイミングを逃して余計しんどくなるので、おにぎりを持ち歩く様になりました。

小さな小さなおにぎりです。

 

二条城に行った後、2回位Kクリニックに通院しました。ときよしのお気に入りになった京都の自然食ランチの店にそのうち1回は病院が終わるのが遅くて行けず、もう1回は店が定休日で行けませんでした。

そして、11月に入ってすぐ、またKクリニックの通院日が来ましたが、この時ひどく吐く様になっていて店に寄るどころではありませんでした。持ってきていたおにぎりにも手をつけられず、帰りの車の中でも吐いてしまいました。

 

吐いたものからは「薬」の匂いしかしませんでした。

 

朝起きても目は覚めているけど布団の中でずっと過ごすし、吐く事が分かっているからごはんもあまり食べないし、最終的には、お風呂も入れなくなりました。毎日、お風呂に浸かって体を温めるのが日課でしたが・・

そんな中でも比較的体調のいい日には、夕方ゆっくりウォーキングしたり、、無理してバーベルを持ち上げる日もありました。

なんとかしてちょっとでも体力をつけたいとあがく姿は目を背けたくなるほどでした。

 

11月6日 朝からひどい腹痛とだるさ  服もなかなか着替えれなくなります。

O市民病院に行き診察してもらいます

A先生はこの日不在で、違う先生が診てくださいました。この先生も1回目の入院の時に良く顔を知ってるのでときよしは安心してこの先生の指示に従いました。

 

「10月末にしたCTも分かり辛くて詳しい検査をしたいし、嘔吐が続きだいぶ衰弱してるので1度入院しましょうか」

と言われました。

明日の11月7日の昼から入院と決まりました。

 

診察を受けているときよしの後ろで涙が止まりませんでした。

帰ってこれないんじゃないかと、ふと思ってしまったからです。看護師さんがティッシュを差し出そうとしてくれたけど慌てて断ります。ときよしに気付かれるのが嫌でした・・

 

家に帰り、ときよしに今食べたいものを聞きました。

食べれないのは分かってるけど家ではきっと最後の食事になります。

「治るまではしばらく食べれへんから今晩好きなもの食べて入院頑張ろうな」・・とまた嘘をつきました

カレー ハンバーグ どんべい 巻きずし イワシの丸焼き

を久しぶりに食べたいとリクエストでした

 

それぞれをほんの小さい一口ずつ食べてときよしはごちそう様しました。

それでも、「うまかったぁ」とちょっとだけ嬉しそうでした。

 

おいしい訳ありません。無理してばっかりです。

いつも持ち歩いた小さいおにぎり

 

㉓父のすい臓がん闘病生11月~2度目の入院~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

***11月7日   昼から入院。1回目の入院と同じ7階病棟です。見慣れた看護師さんや掃除屋さんがいます。

看護師さんの1人が病室に来て

「久しぶり~!!」と抱き着いてきたと後でときよしに聞きました

 

本当なら戻ったらダメな場所でも、あんなに明るく言われたら複雑・・と言っていました。

看護師さんはやっぱり声のかけ方が上手です。

 

この日から絶食で、今まで飲んでた薬は全部止めて、鎮痛剤が主になります。飲み薬は一切無くなり、栄養は点滴からになりました。

 

食べなくて良くなった分吐く事は無くなったけど、食べれない辛さとの闘いだったのかな・・分かりません

 

1回目の入院の時はいつも「食べたい」「食べれない事がしんどい」と言っていたけど、2回目の入院では実はそれを1度も聞いたことがありませんでした。もしかしたらもっと別の事が気になっていたのかも知れません。

 

***11月8日  胃カメラで胃の出口当たりが詰まってると言われて、「ステント」手術が決まる。吐くので、痛み止めは「フェントステープ」や「オプソ」になる

 

***11月12日   緑色の液体(胆汁)を吐く様になる

 

***11月15日   ステント手術

 

***11月21日   薬の影響からか不安感とちょっとした「せん妄」で朝早くに本人から切羽詰まった電話がある。ビックリしてほぼパジャマ姿で駆けつける

 

***11月23日   痛み止めを点滴から入れる様にする。8時間おき。痛み止め座薬も。

 

***11月25日   痛みがきつくなってきて「フラッシュ」をするように

 

***11月27日   緩和ケアの看護師さんや薬剤師さんが様子を見に来る。急な発熱。今日は特に痛い 声を出して痛がるくらい

夜中も何度もフラッシュ

 

***11月28日   昼から食事ができる様になる

 

***11月30日   放射線治療の提案される

 

 

1回目の入院とは違い病院の中も冷える

体調のいい時は長年着てるジャンパーと分厚い靴で病棟内をウォーキング

病室から見える外の工事現場。いつも窓にへばりついて見てた

仕事がしたいと羨ましそう

2回目の入院はせん妄の時以外は毎日欠かさず日記を付けてた

 

~入院してからの薬と処置・症状~

【ステント】・・腫瘍のせいでふさがった胃の出口などに入れると直径2㌢くらい広がるあみあみの柔らかい金属のようなもの 何日か時間をかけて広がってくれてご飯がちょっと通るようになる

 

【フェントステープ】・・貼る痛み止め 効果が6時間後とかに効いてくるらしくて1日何度か定期的に貼る そのせいか分量の調整が難しいみたい

 

【オプソ】・・飲む痛み止め 痛みがひどくなった時に飲むと速攻で効いてくれる 少量の液体飲み薬

 

【胆汁】・・食べ物の消化をする消化液の1つ。黄緑がかっていて、     便の色は胆汁などの色と言ってもいい。1日に1ℓくらいできるそう。

 

【フラッシュ】・・常時痛み止めを点滴してる状態で痛みがひどい時に点滴を早送りする応急処置の様なもの 痛みがマシになる

 

【せん妄】・・きつい痛み止めや病気の影響で幻覚を見たりすること

 

家とは違って、病院なら様々な痛み止めと処置で楽にしてくれます。ときよしは長年健康だったし、周りにも大きな病気をする人がほとんどいなかったから、こういう事とはずっと疎遠でした。

改めて、医学って凄いなと実感しました。

 

㉔父のすい臓がん闘病生12月~2017年の1年間~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

入院生活はあっという間に1か月過ぎました。それはひたすら痛みと嘔吐と戦う気の遠くなるような時間を過ごしてるはずのときよしの方がそう感じてたようです。

 

ときよしは1回目の退院後の元気な時にも、退院してからもずっと続くお腹の痛みに、「なんでこんなに腹の痛かっちゃろうか・・」と聞いてくる事がありました。私は「そりゃあな?あんだけの大手術したんやし内臓の位置が変わってるんやから後遺症で痛かったりすると思うよ」と返事していました。「やっぱり人は、腹は切るもんじゃなかね・・」と言ってたけど、どこか、私の返事に納得できないみたいでした。

 

もし私がときよしの立場なら

明らかに手術前と同じ症状が出てるのに術後の後遺症と思えるのか・・

手術はしたけど、実は取れなかったんじゃないか・・

周りは何か隠しているんじゃないか・・

不信感を持ちそうです。

 

ときよしには正直にガンが残ってると言ってあげた方がいいのか、ずっと迷っていました。

 

ほとんどの人が本当の事を知りたいんじゃないかと思っています。

実際病院でガンの告知をされる様になったのには、それもある様です。(今ではガンが治る病気になってきたのも大きいですが)

でも人には「性格」というものがあって、正直に言った方がいい人と嘘をついた方がいい人との見極めが大事だと、私は後で思い知らされます。その見極めは思っているより難しいです。

 

人は病気になって初めて周りの人間が見えてきます。

元気なうちには気づけないです。

 

世の中はガンだらけ。多すぎて逆にガンの事を知る事もなかったです。自分の身に降りかかって初めてガンの恐ろしさを知りました。

 

親はいつまでもいないということ。

順番通りなら先に親が死ぬ事が分かっていて、どうしてなかなか親孝行できないのかな・・病気になってから必死に尽くしたって遅いと何度も思いました

 

今年に入ってすぐから年末まで2017年は色んな事を勉強した感じです。

ときよしは見た目がだいぶ変わって、私は中身が変わった様な気がします。

ときよしはみがき

歯磨き大好き

 

 

㉕父のすい臓がん闘病生活12月~放射線治療~

 

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

11月の最後の週位からしてた1日3回の「アセリオ」の痛み止め点滴がときよしには良く効いているようでした。

 

そして、常時点滴で入れている「フェンタニル」や「オキファスト」という痛み止め、「オプソ」飲み薬の痛み止め、座薬の痛み止め・・

 

本当に色んな痛み止めがあります。傷口に効くやつや神経に効くやつ・・痛み止めにも種類があるそうです。

 

こんなにたくさんの痛み止めを使っても調子の悪い時は全然痛みが治まらず、1日辛そうです。どれだけ我慢強い人でも耐えれません。顔はゆがみ、手は震え、身の置き所が分からない・・

それが1日ずっと続きます。

 

担当のA先生が前に言ってた放射線を決めてくださいました。

一時期は「ステント」が入ってるせいで放射線は難しいと言われ、ときよしも気を落としていましたが、何とかできそうです。

どんな処置でもできるうちは本当にテンションが上がります。前向きになれます。

ステントを入れてしばらく経つのでちょっとずつ食べれる様になってきてはいるけど、しばらくしたらやっぱり吐いてしまいます。

 

いつもベッドの脚元に洗面器を用意していて、多い時は1回で洗面器いっぱいに胆汁を吐きます。

 

1日中痛みと嘔吐を繰り返すのです。何度も何度もです。地獄です。

 

そういうものから放射線はちょっとだけ開放されるんじゃないかとA先生が言って下さいました。それを願うだけです。

 

12月11日~年末まで約3週間放射線治療を頑張りました

 

「放射線治療」

 

手術・薬物療法(抗がん剤)・放射線 ガンの3大治療の1つ

ガンの部分に放射線をあててガン細胞を破壊していく治療で他にもガンによる痛みや神経症状などを和らげてくれる効果もあるそうです。効果は治療が終わってしばらくしてから出てくるそうです。

 

 

放射線治療室

 

治療自体はほんの数分、痛くもかゆくもない治療ですが先生たちはいつも緊迫した雰囲気で、治療中も動いたらダメなので本人は結構不安そうでした。このドアの向こうで一人とても緊張してるんだろうなと思うと私も一緒に入って隣にいてやりたい気持ちでした。

 

ときよしにとって、これが最後の治療になりました。そしてこの放射線治療のおかげか治療が終わってしばらくするととっても楽になっていきました。

 

㉖父のすい臓がん闘病生活12月~ときよしの痛みと先生たちと私~

 

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

毎日続く痛みは薬の調整も難しい時がたくさんありました。放射線は治療が終わってしばらくしてから効果が出てくるそうでまだ痛い時がずっと続いていました。緩和ケアから先生や看護師さんたちが来て様子を見たり合う薬を考えたりしてくれていました

 

~日記~

 

12月19日

 

(緩和の先生)にメンタルで痛いのかなとか・・CTにはそこまでの痛みがある様には見えへん・・って言われた。??病気はCTだけでは判断できひんってそっちがゆったんやん。家に帰る事目指して頑張れますか?って?帰る事だけを目標に誰よりも本人が頑張っとるわ・・(緩和の看護師)にキレる・・疲れる・・誰も調整できひん先生らを悪いなんて思ってない、病院でしてくれてる色んな処置は家ではできひん、感謝してる・・でもときよしのせいにしんといて ときよしが一番しんどい 大手術したし、人それぞれやん 側で見てたら一番わかる 気持ちだけじゃない 実際痛い

 

12月20日

 

早速B先生にも同じ事言われる・・もういいって・・そんなんばっかり言われたら痛くても看護師さん呼べへんやん・・どんだけ調整難しくても、それはときよしのせいじゃない メンタルって言うならメンタルのケアしてよ それも含めて病気やん 病人は気持ちも病気なる ここ最近A先生来てないな・・どうせ一緒の事言うかな・・

 

12月21日

 

今日から痛み止めの種類が変わって増えてそれでも痛そう 痛みがマシになってるちょっとの瞬間に夕方一緒に歩く エレベーターホールで(痛いと思いすぎたらあかん事、痛み止めが増えれば当然副作用が出て息が苦しくなるって事)ゆったら「分かった」って素直に頷いてた ごめんな ときよしはなんにも悪くない。夜A先生に何日かぶりに会えた。あの姿は末期がんやって・・神経にガンが浸潤してるっぽくて痛み止めは効きにくいって。放射線があとちょっとで終わるから結果を見ていくって・・最後は9階に行く予定 来年のGWまでは難しい 急変する可能性・・とかいろいろ・・メンタルが原因じゃない事 はっきりとときよしの現状をゆってくれたこと 先生ありがとう 救われた

 

12月22日

 

今日からまたご飯なし。吐きすぎて苦しそうやからそれを昨日A先生にゆったら早速今日から指示してくれはった 腰の痛みまでひどくなってきてる 歩いたら気が紛れたみたい 今日はフラッシュあんまりしてない・・ときよし昨日の話で痛みを我慢してる・・同じ病室の患者さんご飯食べてる 他の患者さんがうらやましい・・何ゆってるんやろ・・ここは病院で みんな病人で それでも患者さんをうらやましく思うなんて

 

本人が一番痛みに苦しむし、家族は辛い姿を見たくないし、それは先生や看護師さんもみんなそうと思います。必死になればなるほど怒ったり落ち込んだり私もこんな風に文句を言って看護師さんや先生に迷惑かけた事もありました。闘病生活はみんなが大変です。

 

 

 

㉗父のすい臓がん闘病生活12月末~せん妄~

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

3週間の放射線治療が終わろうとしていた時、あと何日かでおおみそかという時。

 

薬か病気によるものか分かりませんが「せん妄」が出てきました。
せん妄とは幻覚が見えたり今の現状が良く分からなかったりする症状の事です。
その日は朝からずっと爆睡してていつもの放射線治療の時間になっても目覚めませんでした。

 

看護師さんがどうやって起こしても起きる気配なし。みんなが変に思いながらこの日は放射線は一旦お休みしました。

 

でもここ最近は痛みや嘔吐で夜中だって関係なく起きてしまうし、ずっと寝不足やから寝かしてあげよう・・ということで、ときよしが寝てる横で久しぶりに私も暇な時間を過ごしました。
~日記~
12月28日 朝から起きない とりあえずずっと寝不足やし寝かせよう たまに起きるけどなんか訳が分からんくなってる
12月29日 朝来たら看護師さんたちの休憩室みたいなとこにベッドごといてる・・夜中目が離せへんたみたい 近寄っても、うちの事が分かってない でも無事放射線終わる 夜は子供らも一緒に病室で夜ご飯 見てないと危ない
12月30日 朝から晩までしゃっくりばっかりしてる 寝てても自分のしゃっくりにびっくりして起きてる

 

年末~正月 ときよしはずっとせん妄 看護師さんにつっかかる・・ 動いて点滴外そうとする・・うちがいれへん時はナースステーションで看護師さんの横にいてたり・・ 夜中ベッドから起きて病室の中を歩いてベッドに戻る こんなたかが5分くらいの事を朝まで繰り返す 「もう家帰ろうか!」って言う「そやな、もう帰る時間やな」って返事すると安心して笑う・・

 

ほぼ1週間 疲れる ちょっとでいいから寝たい・・でもうちは病気じゃない 病気してる本人のしんどさはこんなもんじゃない なんとかしてやりたい
1月7日 せん妄がなくなる ここ最近の事は覚えてないけど、うちとか看護師さんが目がつり上がった冷たい人間に見えたって言ってた しっかりしてて優しいいつものときよしに戻った
正月明けの先生の話   「肺」に転移してる可能性

 

安心したのも束の間で、楽しい時に崖から突き落とされる気分

 

病気は本当にむごい
11月の最初に入院してすぐの時も軽いせん妄になって、それからも時々寝ぼけみたいな感じになるときがあったけど、その時は本人も「幻覚を見ている自分がいる」とちゃんと解ってはりました。今回は完璧なひどいせん妄でした

 

 

 

㉘父のすい臓がん闘病生活1月~奇跡が起きそう~

 

私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました

 

せん妄がなくなったら普通にしっかりしていて、痛みもマシで、放射線の効果が今になって出てると本人もそれを実感してはりました。

 

ほんのちょっとやけど、好きなものを口にする事が出来たし、話してる時の元気さも普段と変わらなかったです。

 

今いる病棟は手術をする人の「外科病棟」でこれからは「緩和ケア」に行かないかと先生と婦長さんに提案されました。

知ってる人は多いと思いますが、治療が困難な人が過ごす病棟です。

ときよし位の歳になると、緩和ケアがどんなところか・・そこに行く人をきっと何人も見てきて知ってるはずです。

 

どことなく病棟を移ることに複雑な気持ちを持っていそうでしたが緩和ケア病棟に移る為の面談をしに緩和の先生と看護師さんが来てくれました

痛みの調整の話のとき以来です

ときよしは「お世話になります よろしくお願いします」とベッドの上で深く頭を下げていました。

 

私は「外科病棟は手術する人専門で痛みの調整は緩和ケアの方が上手やし、ちゃんと調整してもらって合う薬が見つかったら家に帰ろう」と声をかけました。

緩和ケアに引っ越すのは 1月15日

一緒に歩いたり、頭を洗ったり、足湯をしたり・・外科病棟で過ごした最後の方は夏位の元気さで楽しかったです

 

 

 

 

手慣れたひげ剃り

 

 

 

 

うどんを欲しがったので小分けに作って冷凍

 

 

散髪

 

「理容師辞めて看護師なろうか?」って言ったら笑ってた

 

入院中の人の身なりを整えられる理容師は素晴らしい仕事と実感

 

 

「男前になった」と満足そう

 

 

 

 

看護師さんに怒られる覚悟で歩行器で走り回るとケラケラ笑ってた

本当は笑えないはずですがこれも親心なんだと思います